父の『前書』

戦後、何回となく、原爆の記録を書き残す様にと、色々な人から再三すすめられたが、どうしても書く気になれず、何時の間にか50年の年月が過ぎ去った。

特にはっきりした理由があって、書かなかった訳ではないが今、敢えて理由めいた事をあげるならば…

  •  なんとも筆舌につくし難い惨状を思い出したくなかったこと、従って被爆の記憶を無意識のうちに忘れようとしていた。
  • 30万~40万人とも言われる一般市民を一瞬にして葬り去った原爆投下が、如何に戦争中とは言え、何の責任も追及される事なく、それが正当化され、又今日ではその国が、過去何もなかった様な顔をして平気で人権外交を展開する等…何とも割り切れない勝者の横暴に対し、何も出来ない自分の非力、悔しさから原爆の記憶を頭の中から消してしまおうとしていた。
  • 今一つは、妹八千代の急死である。原爆の2日後、8月8日福山市(*20) は全焼した。高熱にうなされ苦しんでいる僕の枕元で、可愛い5才の妹八千代は母に寄り添い、心配そうな顔で僕を見つめていた。その2日後、8月10日夜明けに急に高熱を発し、福山市全焼のため医者の往診も間に合わず妹は急死した。僕の身代わりになって死んで行った様な気がして…。
  • 酒席で何人かの人に原爆の話をしたことはあるが、僕の話はいつも「きゅうり」で全快した話で止まり、被爆の惨状について話したことは殆どない。

今年7月、高野山(*22)、大名王院(*21) にて兄弟姉妹皆なで妹八千代の50回忌の法要を済ませた。戦後50年、半世紀にして暫く気持ちの整理も出来、記録を書く気になれた。

世界には多くの原爆保有国があるが、どの様な事があろうとも、トルーマン大統領が下した様な原爆投下の決断は決して、決して、あってはならない。一日も早く原爆がこの世から消えて無くなる事を願いつつ前書きを終えます。

追記

記録の内容を読んで頂ければ分かりますが火傷にはきゅうりがよく効きます。家庭で火傷した時はきゅうりを2ミリ位の厚さにスライスして火傷部分に当て、バンデージで止めて下さい。水ぶくれも、跡形も残らず綺麗に治ります。火傷の特効薬きゅうりをつけ加えました。

平成6年8月6日

小畠豊康

Dad at 14 years of age

14才当時の父

Mum and Dad's wedding

両親の結婚式